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2018年11月14日 17:56に投稿されたエントリーのページです。

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2018年11月14日 17:56

孤独について

また同じトピックの投稿をするかもしれないけど、すこし前、というか昨日の話なんですけどね、孤独をテーマにした話をすこししたんですね。

孤独の強烈なところって、孤独という言葉にあるんですよ。

『孤も独もひとりぼっち。』

独(どく)は、ひとりという意味で、まさしくそうなのだけど、孤(こ)についていうと、なかなか深い。

親がいないとか、自ら離れていくとか、そういう、ネガティブなのばかり。

もっとも、だからこそ孤独という言葉が成り立つのであって、否応なしにその境遇である場合は残念で、そうでない場合は、それはそれで幸せなわけです。

孤独というのも実に奥が深い。

かの宮沢賢治も、孤独になりたくて山行を繰り返していたという執筆さえあります。

なので、孤独が一概に悪いというわけではない。
では、何が問題なのか。

それを普遍的なものととらえるのが問題なのではないでしょうか。
それが普通だ、都市化する現代的な問題であるというのが、問題なのでしょう。

宮沢賢治や、同様な人びとは、おそらく、なにものかと向きあう理由があって、それを求めたのではないか、と考えることもできます。

それでいい、とすることもできますが、それでいいのであれば、社会的であることとはどのようなことであるか、秩序、あるいは協調性と呼ばれてきたものがなんだったのかをあらためて、考える必要があるのではないでしょうか。

孤独というのは、実に奥が深いと、そう感じました。
本当に深い。

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