映像やデザインというクリエイティブから、ジオパークという地球科学を領域にする業界に足を踏み出したのが2016年。だから、あれから5年目。
幼いころから山や川や星や動物が好きで、クリエイティブな業界に入ってからは、すっかりその魅力から遠ざかっていたのですが、2011年の東日本大震災をきっかけに、自然の魅力や自然とともに生きていくことについて考え始めていました。
恥ずかしい話ですが、実際にはそれだけではなく、家庭の中や、仕事において外の人との間で悩みがあり、その悩みや葛藤に対して自分に素直になれなくなってしまい、信頼していた人にさえ弱い姿を見せることをためらい、相談することもできず、決断するという行為をすることができなくなってしまい、逃げ場所を探していたことは否定できないと、今さらながら思います。
ただ、事実としては決断することから逃げたわけです。
ジオパーク専門員としての3年間の毎日は、とても充実していたと今も本当にそう思います。
自分が所属する地域やほかの地域を旅し、地質や地形、そして生態系と人びとのいとなみが生み出してきた文化を観察し、地域やジオパーク全体で活用できる仕組みを考案して実施する。
これは、クリエイティブでの経験とまったく同じプロセスで、本当に毎日が充実していました。
逃げたことから始まって5年。
大好きな写真家の星野道夫さんの本「旅をする木」に収録されている「ガラパゴスから」の一節がまさにそうだったのだと思います。
私達はここまで速く歩きすぎてしまい、心を置き去りにして来てしまった。心がこの場所に追いつくまで、私たちはしばらくここで待っているのです
旅をする木(星野道夫, ガラパゴスから)より
自分にとって、心が置き去りになっていたのか、それとも身体が置き去りになっていたのかは、今も分かりません。
ただ、どちらかが追いつくまでに、5年かかった。そして、ようやく気づいたのです。
あの時逃げたことで得たものは大きかったけれど、失ったものがとても大きかった、と。
不思議なことに、現在40歳。
去年が数え年で40。つまり不惑。
孔子の言うところだと…
十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順したがう。七十にして心の欲するところに従えども、矩のりをこえず
ようやく、ですが、もっと自分に向き合って、素直な自分と生きていこうと思いました。
取り戻せるものも、取り戻せないものも、手に入れるのも、失うのも、すべては自分次第。
1度目はそういう儀式なんだと思ってただけでしたけれども、2度目の成人式の歳で、ようやくわかった気がします。
そう気づいて、少し怖気づいたけれども、reからはじめようと決断しました。
Reset, Restart, Response, Resolve, Resonant.
いつ始めても、遅くはないはず。今からでも、遅くないはず。