雪国ものづくりマルシェ2022 春

5月7日(土)から8日(日)に福島県立博物館(ケンパク)で開催された、雪国ものづくりマルシェ2022 春へ行ってきました。

このイベントは、福島県立博物館が文化庁による「文化観光拠点施設を中核とした地域における文化観光推進事業」を受けて実施している、「三の丸からプロジェクト」によるものです。

「三の丸からプロジェクト」は、福島県立博物館のアウトリーチ活動として行われているいくつかの取り組みで、「雪国ものづくりマルシェ」は冬になると深い雪が降る雪国としての会津地域における「雪国のものづくり文化」を楽しんでもらう狙いがあるそうです。

今回は会津若松市を中心に、北は喜多方市から南は檜枝岐村で手しごとをされている方の工芸品や、農業をされている方がつくった食材や食べものを買ったり、観光・飲食をされている方がつくる食べものを実際に食べることができるイベントです。

何よりの魅力は、つくり手や関係者が実際にいて、直接話せることにあると感じました。

到着したのは最終日8日の昼過ぎだったので、できるかぎり多くのつくり手とお話ししつつ、イベントそのものを楽しみました。

どのテントでのお話も楽しく、だれかを介した物語りにはない魅力を実感することができました。

会津若松市を本拠地とする美工堂さんでは、日常として使われてきた会津漆器を「野外に持ち出して使ってもらう」というコンセプトでつくったNODATE mugという食器についてお話しさせていただき、大量生産大量消費の時代に、細くなっていく会津漆器のつくり手の裾野を、新しい使い方と修復して使う美しさの提案で、循環型にしようという取り組みに心を打ちました。

お話を聞いているうちに見つけた、2020年限定モデルのNODATE mug tanagocoroを見て一目惚れして、これは自分が使うモノだ!と感じて、めでたくご購入。

さっそく帰宅してからマルシェで買わせていただいた日本酒を飲ませてもらいましたが、本当に良いものです。

喜多方市で農業をいとなむ秀ちゃん楽農園さんでは、休耕田を使った麦づくりに取り組んでいて、実際に麦をつくって麦のうまみを知ることができたというお話を聞き、ふだんは美味い美味いと食べているばかりで、噛みしめることもそうそうないので、たしかに米や麦といった主食の味わいを楽しむ機会の少なさに、ハッとさせられました。ほとんど会津産のパンケーキミックスを買わせていただきました。まだつくってないので、楽しみです。

かつては熱塩加納村、今は喜多方市となる熱塩温泉ふじやの女将は、自分でもつくるくらい大好きなキューバサンドと、宿名物の自家製グラノーラ、そして生米モチモチマフィン。宿のお茶請けは、市販品ではなく、すべて手づくりのお菓子だそうです。たしかに経済的には施設内につくったお土産屋さんで買うことのできる、日持ちのする商品が良いのでしょうけど、そういう気持ちが、おもてなしとしてうれしいのです。ぜひ泊まらせていただきたいと思いました。

会津地域の西側にある西会津町からは、オーガニック野菜がコンセプトのダーナビレッジさん。西会津は居心地が良い町のひとつで好きな町で、居心地が良いというのは、町と町の人がすごく自然体なんですね。等身大とでも言うのでしょうか。ダーナビレッジの方もすごく純粋で、泊まりに行って農作業したいなぁと思いました。なにより、科学的であったのが、良かったです。科学的というのは、原因と結果になります。自然と同じで今の自分をつくっているのは自分の過去で、未来を変えたければ今の自分を変えればいいだけだよ、というのを分かっているお話は、とてもとても共感しました。

会津地域の南にある檜枝岐村からいらしてた城さんの曲げわっぱは、買おうかどうしようか、かなり迷いました…商品そのものが、さわり心地がやさしくて魅力的だったし、城さんの経緯も魅力的でした。でも、ごめんなさい。曲げわっぱを使って楽しめるような、丁寧でやさしいお弁当を、最近つくってないんです…身分相応になったらぜひ買わせてください。でも、今年も尾瀬行きます!!ぜひガイドをお願いしたいです!!それくらい魅力的なお話でした。尾瀬愛。できれば檜枝岐村に滞在してみたいと思ってます。

また、会津若松市に本拠地を置く松本養蜂総本場さんのお話もとても刺激的でした。前職の栗駒山麓ジオパークでの専門員では、ハチミツを扱う方が自分のエリアでもお隣のゆざわジオパークでもいて、どちらも美味しいハチミツで、自分の都合なので残念に思っていた在職期間中に聞くことのできなかったところも聞くことができ、とても楽しかったです。

手や手しごとというものは、その人の歴史がその人ににだけ宿す特別なもので、その手が生み出すモノがコトを生み、わたし達の特別な体験となり、想い出となるわけですが、その手を持つ人たちと対話することができる機会がどれほどと尊いものか、つくり手として、あるいはつくり手を扱う者としてあらためて考えていきたいと思いました。